長唄三味線 杵屋勝禄江

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音楽教育における 和楽器の指導

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音楽教育における和楽器の指導/音楽の教師を志して

長唄で学んだことを子どもたちに

1、長唄の稽古とは……鑑賞と表現が一体化された活動

 「長唄」が私にとって未知のものであったことが、幸いしたようである。それまでに、自分の音楽で持っていた、中途半端な自信を捨て、謙虚な気持で、素直に取り組んでいくことができた。
 譜面を見ずに、一対一で向き合って、その身体や手、指の動きをまねるという、独得の稽古の方法も、私には向いていた。譜面は、忘れたときのための「覚え」であり、演奏のときも、稽古の時も見ることはない。長唄の稽古は、三味線を構えて、バチで三本の糸を弾き分けられるようにさえなれば、全て、長唄演奏そのものの練習(onthejobtraining)なのである。
 一緒に弾いてもらいながら、まず一区切りを覚える。次の一区切りを覚えると、今度は、初めからその所まで、間違えずに弾けるまで繰り返す。そして、また少し進んでは、また最初から通す。こんなふうなので、一曲を終えるのに、数か月はかかる。でも、最後の一区切りを覚える頃には、それまでのところは、何度となく繰り返しているので、すっかり覚えてしまっている。だから習ったことのある曲は、今でも、少しおさらいすれば、楽譜を見ずに弾ける。身体に、しみ付いてしまっているのである。こうして、レパートリーが一曲ずつ増えていくにしたがって、稽古は、ますます楽しいものになっていった。
 さらに、譜面に表しきれない「間」や「気分」「ノリ(はやさ・緩急)」なども、目の前にいる師匠の演奏を、全身で感じながら、自分も表現してみるのである。
 例えば、弁慶が登場する場面であれば、「そんな、ひょうきんな弁慶は、おかしいでしょう。」「もっと、どっしりと。」と、弾いてみせてくれる。虫の音や、川の流れ、打ち寄せる波、降り積もる雪、にわかの夕立…などの描写についても、的確な指摘や、アドバイスを受ける。
 まさしく、鑑賞と、表現が一体化された活動なのである。

 

2、難しさを克服させるもの……自己表現に向かっての練習

 家で、自分なりに稽古をしていると、よく父に言われた。「おまえの三味線は、ちっとも歌っていない。ものを言っていない。何を思って弾いているのか。」と。言われていることは、わかるのだが、晩酌のあと、こんな芸術論というより、お説教が延々と続くと、つい反抗したくなる。あるとき「どうせ、私なんか、モノにならない素人なんだから、ほっといてよ。」と言ってしまった。すると父は、血相を変えて怒り出し、「道具(楽器)を持ったら、素人も玄人もあるものか。芸術というものは、それに向っていくからこそ、面白くもあり、苦しくもある。たとえ、名人・上手といわれる人であっても、これで良しなんてところは、どこにもない。だから稽古をするんだ。ただの手すさびで、毎晩遅くまで、チャカチャカやられたら、たまるものか。迷惑だ。そんな心得違いをしているなら、二度と三味線なんか弾くな。稽古なんかやめてしまえ。」と、怒鳴られてしまった。
 「楽器を歌わせる」「楽器にものを言わせる」このことは、音楽における、自己表現、自己実現そのものズバリであると、言えるのではないだろうか。そして練習とは、自分の表現したいことを、よりたくさん表現できるように、するためのものである。だからこそ、あきずに、何度も繰り返すことができるのである。
 私は嬉しかった。父は、「芸人なんかダメだ。道楽でメシを食っていこうなんてことが、そもそも間違いだ。自分の子は、絶対そんな世界には入れさせない。」と言いながらも、本当は、今まで、ずっと「芸」に対して、真剣に立ち向かいながら、生きてきたのだ。
 私は、父を、この時ほど誇りに思えたことはなかった。また、羨ましいとも思った。「お父ちゃんの嘘つき、なんで、こんなええこと、教えてくれへんかったの。自分だけで、なんで、子どもには、ちっとも分けてくれへんかったの。ずるいよ・・・」と言ってやりたかった。
 でも、私には「こんなええことを、ひとりじめにしないで、たくさんの子どもたちに、分けてやりたい。絶対、そうしたい」と思うのである。
 私が六年生の夏休み、五年生の子たちを対象に、鼓笛隊が結成され、練習が行われていた。その練習につきまとい、ねばりにねばって、ついに仲間に加えてもらうことができた。だから、私は、三宝小学校鼓笛隊の「O期生」なのである。私が、初めて手にした、本物の楽器、鍵盤ハーモニカやアコーディオン。それは、まぶしく、夢のようなものであった。
 ここで私は、みんなと一緒にすることの楽しさや、それを、他の人に聴いてもらうことの喜びを味わうことができた。

 

3、表現とは

 「長唄は、総合芸術である。」ということをよく聞かされた。三味線も、唄も、鼓や太鼓も、それぞれが「ものをいう。」かといって、自分だけを主張するのではない。お互いが、とけ合って一つのものを醸し出していくのである。
 私は、笛や三味線だけでなく、リズム楽器である鼓や太鼓が「ものをいう。」ことに、新しい発見をしたような気がする。リズム譜では、「・・・」(タン、タタ、タン)であっても、太鼓には、「テン、ツク、ツ」と歌わせるのである。ただ、拍子のみを刻むのではないのである。
 表現とは、自分の代わりに、「楽器を歌わせ、楽器にものを言わせる。」ことなのである。
 私は、音楽に取り組む上での、さらに高い目標が与えられたような気がした。そして、たとえ未熟な演奏技術であっても、この目標だけは、心に留めて、演奏していきたいと思っている。また、子どもたちへの指導も、そうありたいと考えている。
 二年生の教室でのことである。子どもたちは「かっこう、かっこう、しずかに。」と歌うが、鍵盤ハーモニカでふくと「ソッミー、ソッミー、レッドーレッドー」となる。「ソッミー、ソッミー」は「かっこう、かっこう」と聞こえるが、「レッドーレッドー」では、「しずかに」とは聞こえない。私は、面白おかしく、大げさに「みんなのは、「しっずうかーにぃーって言ってるよ。」と言うと、子どもたちは大笑いする。そして、どんな吹く方をすれば、「しずかに。」と聞こえるようになるか、やらせてみる。頭の中で「しずかに。」と、お話しするような気持ちで吹いてごらんと言って、やらせてみると、あちらこちらで「できたよ。」の声が上がる。
 しょっちゅう、こんな指導ばかりでは面白くなくなってしまうかもしれないが、「うーん。芸術してるね。すばらしい!天才だ!。」などと、ほめてやると、子どもも、つい、乗せられてしまう。時折の、こういった指導の積み重ねによって、子どもたちが、自ら喜びをもって表現しようとし、表現する力を持っていけるよう、指導していきたいと考える。
 また、表現力を育てていくことは、同時に鑑賞の耳や心も育てていくことになるようにも思われる。次の作文は、2年「虫の声」の授業の時に、長唄「秋の色種(いろくさ)」の、「虫の合方(あいかた)」の三味線を弾いて聴かせたり、長唄の童謡「かみにんぎょう」を三味線の伴奏で、歌わせたりしたときのものである。
[児童作文]
しゃみせんのこと
浜寺東小 2年         ○○ ○子
わたしは、音楽のとき、先生に、しゃみせんで、ひいてもらいました。
「虫のこえ」をひいてもらったとき、わたしは、
「ガチャガチャ。」と、「チンチロリン。」と、
「リンリンリンリーン。」、が、聞こえました。
「チョンチョン、スーイチョン。」も聞こえました。
「かみにんぎょう」も、しゃみせんでひいてもらいました。
紙人形が、雨にぬれて、ねつを出したのに、
「おくすり、いやだ。」とか「まんまも、いやだ。」
とか言っていました。
そんな歌は、はじめてでした。わたしは、ちょっとしかおぼえられませんで
したが、すごく、おもしろかったです。
おわりのとき、「虫の声」の歌をみんなできれいな声で歌ったら、虫が、ちかくに、いるようでした。

 

4、豊かな心を育てる……表現活動を通して

 曲の情景や気持を洞察し、自分が、そうなりきって表現していく。これは、人間関係の上でも、相手の気持を理解し、相手の立場に立って考え、行動できる子どもを育てていく営みでもあるといえるのではないだろうか。
 子どもたちの心は、おとなが考える以上に、感じやすく、やわらかいものである。
 「グリーングリーン」という歌を、御存知であろうか。「ある日、パパは言ったさ。ぼくを胸に抱き・・・。」父親が自分の死を目の前にし、子どもに、強く生きるよう語る。何もわからず聞いていた「ぼく」も、父の死によって、全てのことを悟り、力強く成長していこうとする。そんな内容の歌である。 リズミカルで、楽しい感じのメロディーなので、子どもたちにも、人気のある曲である。私も好きなのであるが、歌詞が、あまりにも悲しいので、伴奏していると、つい涙が出そうになる。子どもたちに、冷やかされたくないばっかりに、ついつい、この曲は、なるべく歌うことを避け、階名唱をさせた後は、楽器でやらせるようにしていた。 ところが、つい最近の授業のとき、子どもたちがどうしても歌おうと言う。「まずいな。」と思ったが、仕方なく、「いいよ。」と言って伴奏をはじめた。涙が出ないように、グッと息をつめて弾いていた。ふと気が付くと、子ども逹の声が、だんだん震えたり、つまったりしていく。でも、声が小さくなっても歌っているのである。曲が終ると同時に、5年生でも筆頭のワンパク坊主が声をあげた。「こんな歌、歌えるかぁ。めっちゃ、涙が、出てくるわ。ぼく、もう、あかんわ。」他の子どもたちも、彼の開けっぴろげな言葉に、思わず笑い声をあげながらも、涙をふいたり、目をこすったりしている。
 私は、「先生も、ほんとは、泣きたかったの。もう一回、一緒に泣こうか。」と言って、子どもたちと一緒に、思いっきり歌った。
 やっぱり、涙が出てきた。でも、その涙は、「グリーングリーン」のせいだけでは、なかった。子どもたちの、あまりに純真で、やさしく、尊い心にふれ、心が洗われるような思いがしたからである。
 「泣いた、ついでに、『大きな古時計』はどう?」すると、歌集を見るなり「やめてや、先生、ぼくらを泣かして、喜んでるんか?
 言いながら、また一緒に歌うことになった。「・・・今は、もう、動かない・・・その、時計・・・。「この歌、こんな意味やったんか」という声も聞えてきた。
 子どもたちは、「この歌、一生忘れへんと思うわ」と言った。私も、「心に残る歌ができてよかった。」と言って、自分自身の体験として、これまでの人生の、いろいろな場面で、歌や、音楽になぐさめられ、励まされてきたことを話してやった。
 教師と児童という立場を越えて、一つの歌を共有できた。子どもと一つになれた。この日のことは、私も、一生忘れることが、できないであろう。

 

5、よき指導者とは

 時々、ピアノを習っていた頃のことを思い出し、稽古の仕方を比べてみることがある。
 私のピアノの先生は、一緒に弾いてくれたことが、ほとんどなかった。(数人の先生に師事したが)繰り返しの練習は、家でして、稽古場では、できているかどうかを、チェックしてもらうだけだった。
 少しつっかえて弾けない所に来ると、それが次の稽古日までの宿題となって家に帰される。できないはない!」と叱られた。
 長唄の場合のように、もう充分教わり、できている筈のところを、練習不足で間違えてばかりいる時に、叱られるのとは、訳がちがうのである。
 多分、私のピアノの先生が、たまたま、そうであったのだろうと思う。もっと、音楽の素晴らしさを伝えながら、ピアノを教えておられる先生が、たくさんいるはずである。
 私のピアノも、今の長唄の師匠のように、手取り、あし取りして教えてもらえていたなら、少しは、ましなものになっていたのではないかと、未だに残念に思っている。
 こんな経験から、私は、1年生を担任したとき、ハーモニカが、どうしてもできない子をひざの上に乗せて指導した者だ。家でもっと練習してきなさい。」だけでは、その子にとっては酷なだけである。ハーモニカを、一緒に手を添えて持ってやり、身体で拍子をとりながら、耳元で「吹いてソ。吸ってラ。」などと言いながら練習させた。とても時間が、かかるので、その方法を保護者によく説明して、家庭でもやってもらうように、お願いしたこともある。大変効果のある方法だったと思っている。
 すごい迫力で、ピアノを弾く5年生の子どもがいた。またその妹も、とても上手だった。ピアノを習っている子には、何度も出会ってきたが、ちょっと違うのである。凄い才能だなと感心していたのだが、ある時、偶然に、電車の中でその姉妹と、ピアノの先生が一緒にいるのに出会った。コンサートを聞きに行く途中だったそうだ。
 その先生は、目の不自由な方であった。私は、ふたこと、みこと、あいさつを交わしただけだったが、この姉妹のピアノについて、納得できた。多分、この先生は、「自分のピアノの音」で、音楽の心を、子どもたちに教えていらっしゃるのだろうと確信した。
 私は、現在自分の師匠(杵屋禄宣師)に出会えたことが、とても嬉しく、その幸せを感謝している。
 自分を表現し、燃焼させてくれる楽器、「三味線」に、真の意味で、出会わせてもらえたこと。しかも、長唄や音楽のことだけでなく、私が、教師として歩んでいくうえで、大切なことも、たくさん教えてもらうことが、できたからである。
 稽古では、教えようとすることを、自分の監督をするところにおいて、相手の弱音に妥協せず、できると信じさせ、根気よく徹底的に繰り返させる。相手が高齢者であっても、幼児であっても、この態度は一貫している。妥協しないこと、これは、指導に責任を持つということに、他ならないのではないだろうか。
 私が、十五年にわたる、長唄での音楽経験から得た、邦楽という限られた範囲のものでは、決してなかったと信じている。私は、子どものころからの経験も交え、邦楽、洋楽といった垣根を越えて、私自身の音楽で、子どもたちの前に臨みたい。その中で「日本の音」「日本の調べ」を、多くの日本の子どもたちの心に焼き付けていってやりたいと思う。

 

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