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音楽教育における和楽器の指導/今求められていること
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今後の課題などと、悠長なことは、言っていられない。教育界や、音楽教育に携わる者が、「伝統音楽」や、「和楽器」について、苦手だとか、経験不足だとか、言っていては、指導要領で打ち出された主旨は、実現の方向へは、なかなか向かっていかないだろう。
かといって、今すぐとはいかないのが、現実である。指導要領で、「実情に応じて」とあるのは、指導現場に混乱をきたさないための、暫定的な配慮であると考える。
今こそ、和楽器が指導できる「実」づくりに取りかかるべきし時ではないだろうか。
日本人が、日本の音で、日本の音楽を、義務教育(公教育)の場で学ぶという、あたりまえのことを、実現させていくために、教育会および、音楽教育関係者は、大きな覚悟を持って、努力していかねばならないと考える。
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教育界にとって、未開拓の分野である「伝統音楽」や「和楽器」を克服していくには、「研修」より他に道はない。生活科が新設され、それに向かって多くの先生方が研究をすすめておられるのと同様、音楽科においても、この古く新しい課題に、正面から取り組んでいかねばならないのではないだろうか。
私自身、クラブ活動では、自由な雰囲気で、和楽器を用いてきたが、音楽科の授業としては、どんな取り組みをしてよいのか、ほとんど分かっていない状態である。しかし、幸いにも、音楽クラブの指導を通じて、全国、あちらこちらで、同じような活動や実践、さらに、授業での取り組みも、すでに行っておられる先生方と知り合うことができた。そして、昭和63年1月には、そういった先生方や邦楽関係者、音楽愛好家など、さまざまな人々が集まり、「邦楽教育を推進する会」が設立された。
今、私が頼りとしているのは、この、なかまの先生方である。とりあえずは、この先生方とともに、研究していこうと思っている。
(参考資料)
[邦楽教育を推進する会設立の主旨・事業・発起人名簿等]
現場の先生方の中でも、「伝統音楽」や「和楽器」について、興味や関心が高まってきていることは、確かである。
本年度、第一回、初研音楽部会でも、「どういった研修をしていきたいか。」を話し合ったとき、多くの先生方から、邦楽鑑賞や、和楽器の知識について、研修を望む声が聞かれた。
また、「邦楽教育を推進する会」が、兵庫県下の小学校を対象に行った、アンケート調査でも、
○日本音楽の必要性
○資料、知識、技術が乏しく不安
○研修の機会を
○楽器が無い
○指導法を示してほしい
○研究を進めてほしい
○まず教師が実物に触れる必要がある・・・・・・
など、悩みとともに、熱意ある意見が寄せられている。
(資料)
[邦楽教育に関するアンケート
平成元年度実施、860校中、回答約300校]
ほかにも、体育大会などで、和太鼓を用いたり、民謡、民舞などを取り入れようとしている学校も、多く見られるようになってきている。
「和楽器」を表現領域で、取り上げていくためには、指導者の研修も、「邦楽鑑賞」程度のものに留まっていては、不十分であろう。もっと積極的に、和楽器に立ち向っていく力をつけるための、実技研修や、授業研究が、なされていかねばならないと考える。
民間の一部同好者が集まって研究していくことも、大変意義あることである。しかし、今や邦楽教育の研究は、アンダーグラウンドの研究に、委ねている時ではないのではないか。例えば、初研音楽部会の中に邦楽研究版を設置するとか、研究指定校を設けるなど、公の研究組織、研究体制によって、もっと強く、すすめていくべきではないだろうか。
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しかし、教育界の経験不足は、一部、民間の力に頼らざるを得ない部分が、出てくるであろう。地域在住の経験者や、より優れた邦楽家の協力を求めていくことも、大切である。
例えば、「移動邦楽教室」。教師が立てた指導計画をもとに演奏家と充分話し合い鑑賞とともに、和楽器の奏法など、手ほどき程度のことを、子どもたちに教えてもらう。
指導の主体は、あくまでも教師演奏家を授業に入りこませるのである。体育館など、広い場所での鑑賞会ではなく、児童の間近(教室)で行う。40人の子ども全員を指導するのに、手が足りなければ、お弟子さんや、助手も引き連れて来てくれるであろう。また楽器についても、理解ある業者や団体などに、協力を求めていくことも考えられるのではないだろうか。
こういったことを、しょうとする場合、気をつけていかねばならないことも、たくさんある。好意的なボランティアの中には、熱意は評価できても、演奏の水準が、一つといった場合があるからである。奏法のアドバイスはともかく聴かせるものだけは、より良いものを選んで、子どもに感動を与えるものでありたい。そのためには、教師自身の耳も、育てていかねばならないだろう。
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私は、これまで筝を備品として購入することに、消極的であった。その理由として、以前教材カタログによって購入したものが、ベニヤ張り合板の、あまりにも粗悪なものだった事が上げられる。教育界が和楽器の分野で、目がきかないのをよいことに、悪質なものが、出回った時期が、あるのである。
もう一つは、指導の後継者の問題である。当時は、指導要領が、ここまで改訂されるとは想像もできなかった。だから、私が転勤すれば、お筝も、倉庫の隅で、ほこりをかぶる運命になるだろうと思ったからである。
しかし、前任校は、そうではなかった。貸し琴とはいえ、現物があるという実情が、勝利を得、指導が続けられることになったのである。指導者、後継者の育成は忘れてはならないことである。しかし、どんなに良い後継者が存在しても、現物が無ければ動きが取れない。反対に、例え、しばらく指導者が跡絶えたとしても、現物さえあれば、それを生かそうとする人物が、必ず現れると信じたい。
指導要領が改訂された今は、もう、備品として和楽器を充実させたり、その指導にふさわしい環境を整えたりすることを、ためらっている時ではないと思う。
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「ものの始まりゃ、何でも堺、しゃみも小唄も、みな堺・・・」 とうたわれるように、堺を、伝統文化の香り高い街にしていきたいものである。 そのためにも、もっと、もっと、伝統音楽や、伝統芸能を、保護し、育成し、奨励していくことに、力を注いでいかねばならないと思う。
市民文化祭や、市民芸術祭をさらに高いものに育てていくこと。文化功労者や、伝統芸能保持者、また、それを受け継ごうと努力している人たちを顕彰していくなど。いろいろな事業が考えられるのではないだろうか。そして、それらを後援・協賛していく教育界は、より深い認識をもって、あたっていけるようにならねばならないと考える。
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